jueves, 1 de noviembre de 2012

ボリビアのTodos Santos


11月の頭は日本のお盆に当たるトドス・サントス(Todos Santos)という死者の魂が帰ってくる日々だ。

ふと思ったが、戻ってくる死者がつく杖になるというサトウキビは低地から、そしてパンと共に死者が持って帰れるようにという果物は、オレンジ、バナナ、パイナップルと亜熱帯地方産だ。Todos Santosのメサ(mesa、供壇)も、高度差のある様々な地方の物の出会いの場なのだなあ。

**************************
(以下は2009年の同じ家族のトドス・サントスについて、レコムの『そんりさ』という会報に書いた原稿を一部転載します(2009年11月号)。)


 ラパス市内のサンペドロとロドリゲスの間の辺りに、ミニブス(minibus)(日本で言うマイクロバスをバスとして使っているもの)[1]とトルフィ(trufi)(いわゆる乗合タクシー、ミニブスよりほんの少しだけ高い)の乗り場(parada)がある。乗客が埋まるたびごとに出発するのだが、日曜日は客が多くて一台着くたびごとに人が殺到する。ラパス市内を南に向かって高速を下りていくと、高級住宅街であるソナ・スール(Zona Sur)に向かって左に大きく曲がるカーブがある。そこを逆に右に曲がると、月の谷と呼ばれる観光スポットに向かって岩山を再び少し上ってから、また下り始めて動物園やバーベキュー場やカートや乗馬のできるマリャッサ(Mallasa)という所に着く。ここは市内よりもだいぶ暖かく、ラパスの人々が週末に遊びに来るところ。そこも通り過ぎると、ラパス市内から一緒に下りて来た川をわたる大きめの橋があって、その先はリオ・アバホ(Río Abajoと呼ばれる地域に入る。
 リオ・アバホは高度が3000mを切るので、空気がむっとするほど濃くなって、暖かさがラパス市内と全然違う(注:僕が普段いるエル・アルトは高度が4000mを越えています)。ワフチーリャ(Huajchilla)、バレンシア(Valencia)と比較的小さめの町が続き、川の左側はメカパカ(Mecapaca)という町で終点になる。ラパス市内からは1時間と少しで着く。ラパス市内で僕が仲良くしている家族のおばあちゃんがバレンシアに住んでいるので、ほぼ毎週日曜日にここに通って、アイマラ語のお話を学ばせてもらったりもしている(注:これは僕の現在の調査の一つの小さな柱になっていて、多分どこかで発表する機会があると思います)。ここは果物の生産が盛んで、10月終りになると果樹の葉は青々と茂り、花の季節はもう終ってプラムや梨やイチジクやルフマと呼ばれる果実が青く育ち始めているのが見える。12月の後半から徐々に収穫の季節に入る。ラズベリーは既に赤くなっていて、つまみ食いができる。かつてはアシエンダが労働者たちに分配されたという経緯があったようだが、最近ではこの辺りもラパスの高所得層の別荘地としての開発が進み、広い敷地を仕切って大きい住宅の建設が進んでいるのが毎年増えているようだ。
 日差しの質が違って、バレンシアは土壁が濃密な太陽にあてられて焼けているような感じのするひなびた町だ。メカパカは今年12月の総選挙の大統領候補にもなっていて、セメント会社の社長でもある大企業家サムエル・ドリア・メディナの大邸宅があることで有名であり、街の中心部は壁が全て濃い目のオレンジ色で統一されて塗られているのだが、これは彼が資金を提供しているらしい。
 111日は、(メキシコなどと同様に)ボリビアでもトドス・サントスと呼ばれる日本のお盆のような行事がある。この日一日死者の魂が戻ってきて、翌2日に戻っていくのだ[2]。うちのおじいちゃんは2004年に亡くなっていて、そのためにお供え物をするメサ(mesa)というものを設える。おじいちゃんが生きていた頃はバレンシアのうちでメサを設えていたらしいが、亡くなった後はその先のメカパカのおじいちゃんの弟が持っている家で共同にメサを出している。
 うちのメサはこのような感じである(写真)。上から見ていくと、サトウキビと花でアーチ(アルコ)が作られ、その奥には一番上にビクトル・パス・エステンソロ元大統領の写真が(おじいちゃんが大ファンだったそうだ)、その下には右側におじいちゃんの名前が、真中には若くして死んだおじいちゃんの兄弟の一人の写真が、残りの二つは彼らのさらに父親と母親の名前になっている。目を引くのは、果物とともに人をかたどったパン(タンタ・ワワ(t’ant’a wawaと呼ばれる、t’の音はglotalizaciónと呼ばれる破裂させる音)と馬をかたどったパンがその下に大量に積まれていることだ。両方ともお面がついていて、このお面(カリータス(caritas)と呼ばれる)はトドス・サントス前になると市内の露店の至るところで見える。トドス・サントス前の一週間は市内のパンを焼くことのできるオーブン(オルノ、horno)のある場所は大忙しだ。これは戻ってくるはずの死者をかたどったものであり(戻ってくるのは老人だから少しふざけてタンタ・アチャチラ(t’ant’a achachila)だと言っているのを聞いたこともある)、馬は死者が一年分のパンと果物を積んで戻っていくためにあるということだ。この馬はリャマだったりすることもあるらしい(うちにはなかった)。少し段になるように積まれているのは、段を上るようにして天に戻っていくかららしい。少し分かりにくいが左側三分の二ほどはおじいちゃんの弟夫婦が用意したもの、右側三分の一くらいがおばあちゃんが用意したものだ。正面には、酒をよく飲む人だった場合は酒と、故人が好きだった食べ物が備えられて、また列席する人たちにもふるまわれる。花の中で目を引くのは、とう(tuquru)の立ったタマネギが必ず供えられることで、これは僕が聞いた話では故人が飲む水を含んでいるということらしい。
 お祈りをしに来る人がいる。僕は子供たちと途中からサッカーをしていたので全貌は見ていないのだが、家族の人たちはその人に例えば「Chachajataki. 私の(死んだ)夫のために(祈ってほしい)」と依頼する。そうするとその人はお祈りをした後に、「urasyun katuspan 魂までが祈りを受けとりますように」と言って、家族の人たちも同じ言葉を返している(スペイン語で言うときはque se reciba la oración)それを死んだ家族の分、そしてメサを出している両方のそれぞれに対して繰り返すと、それぞれからパンや果物が分け与えられる。僕が目撃したのは、近所の人のようで、あまり豊かでない人がこうしてお祈りをして回ってパンと果物をもらっているとの話だった。
 月曜日は僕も含めてラパスに住んでいる家族は行かなかったのだけど、メカパカの墓地にメサを移動して食べ物を振る舞うらしい。月曜日に魂が天に戻っていくということなのだが、農村の方では火曜日まで続いて、火曜日に魂が戻っていくらしい。エル・アルトで僕が今いさせてもらっているラディオ・サン・ガブリエル(Radio San Gabriel)でも火曜日はまだ仕事に来ない人がいて、「村に戻っているからね」と周りの人たちがしゃべっていた。




[1] ちなみに、ラパス市内にはミニブスと共に、アメリカのスクールバスの中古を中心とした大型バスで運行される路線があり、それはミクロ(micro)と呼ばれる。名前だけだとミニブスとミクロのどちらが大きいのだかよく分からない。タクシーなんかに乗るとお金がかかってしょうがないと思う人は、もっぱらミニブスとミクロとトルフィを愛用することになる。慣れてくると意外に路線の構図が分かってくるもの。

[2] よく考えてみると、前に仕事をしていたとき、僕は決まってこの時機に休暇をとっていたので、実はトドス・サントスを見るのは初めてなのだった。面白いことにここの日系人の人たちは、8月ではなくてこのトドス・サントスを目安にしているようだ。1日に僕が泊まっている家の家族を中心とした人たちで大がかりな夕食会があった。

1 comentario:

  1. 藤田護様、初めましてキスペマイタデルフォと申します。ボリビア出身で東京に住んでおります。ボリビアのトドスサントスについて書いてくれて心からありがとうございます。ボリビアの他の祭りを見たことがありますか。

    ResponderBorrar