martes, 1 de diciembre de 2015

30台の最後で

ああ私はオダギリジョーさんと同い年なのか。

NHK(Eテレ)の『スイッチ・インタビュー』を偶然見た。5年後に見たくらいでは自分が十分に変わっていないのではないかという感覚、技術を蓄積していっても20台で失った感覚にはもう辿り着かないのではないかという葛藤、それでも若い人ともう一度何かを作ろうとする再出発、それらのすべてがキツく、そういうことだなと納得し直すような、つらい時間を経験した。対談の相手に自分より10歳ほど若い人を指名するという、その振る舞いも含めて。

(逆に)将棋の羽生善治さんは、年配世代の継続を見たのが先の見えないスランプから立ち直るヒントになったと、事あるごとに話している。追求し続けて、それでも果てがない、その年台ごとの人のあり方があるのでしかないことを、受け入れられるようになるということは、狂言の野村万作さんと野村萬斎さんが言う「時の花」とも通じることだ。

もがき苦しむように楽しく、生きている。

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