ボリビアの選挙は、民主主義のお祭りのようだ。(今回はまだそれほどでもないけれど)情勢がどんなに荒れているときでも、選挙になるとピタッと投票が行われる。その意味で、ちょっとカルナバルに似ているところがあるとも思う。かつて私は、大使館(外務省)からの派遣という形で、2004年12月の地方選挙と2005年12月の総選挙で米州機構(Organización de Estados Americanos, OEA)の国際選挙監視員に加わったことがある。
今日(10月16日日曜日)は選挙日。私が住んでいるところの近くの、ラパスの中間層が住む地区(Alto Sopocachi)の投票風景を載せてみます。ちなみにここは、少し先の道を一つ挟んで、中間層の上の方と中間層の下の方を分断する線が走っているところ、言い換えるとアイマラ民族色がぐっと濃くなる線が走っているところで、そういう点からもちょっと面白い地区です。
ボリビアでは投票は義務で、前日から酒類の販売も禁止され、当日は最高選挙裁判所(Tribunal Supremo Electoral)の許可証をとっていない車輛の通行は禁止となる。昼前になると、住宅街の道を家族連れが三々五々投票所に向かってくる。
(あまり早く行くと、投票監理員が遅刻していて投票所が空いていなかったりする(笑)。)
(注:TSEは、以前は全国選挙裁判所(Corte Nacional Electoral, CNE)という名前だったが、新憲法の下で名前が変わった)
投票所の様子を幾つか。大体地域の学校が投票所になっていて(これは日本と同じだ)、入ってみると名前順に投票室の割り振りが貼ってある。ボリビアでは以前は登録されている選挙人台帳ごとに部屋が割り振られていたので、自分がどこなのかを確認するのがひと苦労だったのだが、2009年に生体認証による選挙人登録が導入されると同時に、単純にアルファベット順の配置になり、だいぶ楽になったようだ。
投票室の見取り図(手書き)と投票用紙の見本も貼ってある。
ある投票室の前の様子。この投票用紙を広げているのが重要なポイントで、これは事前に印が付いていない白紙の用紙であることを周囲に対して証明しているのだ。ここで投票用紙を受け取った人は、たった一人で教室の中に入って、印をつけて、出てきて、写真右下の投票箱に用紙を投じる。この間、教室の中に他の人が入ることはできず、だからかなり細かく投票室ごとに有権者が配分されて、しかも結構な列になったりする。
この投票過程は、毎回抽選で市民の中から選ばれ、事前の訓練(capacitación)を受けた選挙監理員(jurados electorales)が設営をすべて司り、投票が午後4時に終了した後は、自分たちの部屋の開票作業までを行い、結果を書類に記入したうえで、それぞれの投票箱が最高選挙裁判所に向けて送られる。それぞれの部屋(メサmesaと呼ばれる)に、場合によっては政党代表の監視員も貼り付けられる。この投票を全員でやっている感じが、私は日本の選挙よりもずっと民主主義の精神に近いのではないかと思う。
(今回は司法府の選挙なので政党監視員は認められていない。)
ちょっと違う言い方をすると、今回初めてボリビアで実施される司法府の高官を選ぶ選挙は、現政権による司法府の掌握の意図が大っぴらに出ていて、様々な批判を浴びている最中なのだが、それと<投票をする>という行為自体に人々が与えている重要さとは、分けて考えないといけないのだろうなと感じるのだ。
ちなみに、ボリビアではかつての1952年革命の後に普通選挙が導入されたのだが、1964年のクーデターによる軍政開始の時期までは不正が横行していたようで、事前に印を付けた投票用紙が投票所の外でお金とともに配布されていたという話を聞いたことがある。したがって当時の国民革命党(Movimiento Nacional Revolucionario, MNR)の得票率はあてにならないようだ。その当時の記憶が残っていることもあって、上記のような形が取られているのだろうと思う。
投票所になっている学校の中の様子。
外には食べ物の屋台が所狭しと連なっている。Chicharrón、fricasé、fritanga、sajta de polloなどこういう所でのおなじみの料理が出ている。よく探すとcharquecán(オルーロの方のリャマの干し肉を揚げたもの)やwallaqi(チチカカ湖の魚のスープ)なども見つかる。人がひしめき合って、家族が昼ご飯をここで食べていき、店の人たちがあわあわと動き回る。この全体が一種独特の雰囲気を作り出す。
chicharrón(豚の唐揚げ)をよそっているところ。
これはfritanga(豚のトウガラシ煮込み)。黄色トウガラシに十分に赤トウガラシを合わせます。私はこれが大好物。白トウモロコシを茹でたモテ(mut'i)とジャガイモを乾燥させたのをもどしたチューニョ(ch'uñu)と。
村の方に行くと、投票の前後に村人たちが投票所とは別のところで輪になって話し合いをしているところを見るという話をよく聞きます。これは、共同体的な代表決定の仕組みが近代選挙の仕組みと並存していると言ってもいいですし、まとまりを維持しながら外の(白人支配者たちの)世界にいかに対峙していくかという意識が働いているという見方もできるでしょう。この辺りのウチ・ソト意識がエボ・モラレス政権登場後にどう変わりつつあるのかは興味深いところです。このブログでも取り上げている2010年末からの現政権の迷走とは別に、2005年末の総選挙を通じて多くの人々が自分たちの側の代表だと認識できる初めての大統領(エボ・モラレス)が誕生したことが、ボリビア社会の広い意味での民主化を大きく推進したことは、疑いのない事実です。