domingo, 11 de diciembre de 2011

プラムの促成

果物の栽培は、ただ育てて花が咲いて実が成って収穫して売るだけではないんだと気付く機会が、これまでに何回かあった。

例えばプラム(ciruelo)。今年は先週くらいから収穫が始まっているのだけれど、これからの時期は日中太陽の光で暖められる部屋に、こういう布と新聞紙に包んだプラムが置かれている。
これは早く地面に落ちてしまったり、実が付きすぎて枝が折れてしまった部分のプラムを集めて、甘くなるように人間が手を加えているのだ。大体こうしてから一週間くらいで甘くなる。これはアイマラ語でphuqacha(ña)と呼ばれていて、スペイン語のcompletarに大体対応する、つまり<人間が手を加えて完成させる>とか<足りない部分を補う>という意味合いのある単語なのだ。

これは熟す前に収穫して運送途中で熟させる現代の栽培方法の原型のようなところがあるようにも思えるところだが、この場合は、本来だったらダメになってしまったかもしれない実も、人間が手を加えることで完成させて、場合によっては他よりも少し早めに売り始めるという、無駄を減らして得をするための人間の知恵という側面があるのではないかと思う。


実がたわわに成ると、全ての枝がこうして垂れ下がってきて、たまに重みに耐えきれずに折れてしまうことがあるのだ。

これがその折れてしまった枝。

そして鳥に部分的に啄ばまれてしまった実は、また別に集めて、これは豚の餌へと回される。こうして、ある意味全てが無駄がなく複数の形態に分かれて利用されていく。これが、より商業化・大規模化された栽培形態と異なる、小さな規模の果樹栽培ならではの「計らい」なのかもしれない。
(この「計」は「生計」の「計」。)

ちなみに、アイマラ語でよく聞き間違えてしまう音というのがあるように思う。一つは語頭のjとqの音が意外と紛らわしい。枝が折れて落ちてしまったことを、確かおばあちゃんはjaquntata(かjaquqata)と言っていたのだけど、これを私はqaquntataかと聞き間違えて、「枝をさするのかな」と色々考えていた(qaquñaは「さする」)。ちなみにもう一つは語中のyとllで、以前教えてもらったジャガイモが地中で腐ってしまうjullurañaを、私はjuyurañaだとしばらく思い違えていて、「辞書に載ってない」と思っていた(実際にはjulluñaなどが載っている)。

*実は元々自分の調査はこういうこととは別のことを少しずつ追いかけていたので、余談のつもりでこういう話を書き留めていたのですが、これ自体をもう少し真面目に記述してみようかなと思い始めました。書きながら考えていくというか、書きながら自分を作っていくというのは、やはり意外と役に立つものですね。

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