昨年準備をしていて、年末年始にかけて書いた以下の論文が公刊されました。
藤田護「大江健三郎『水死』における言葉の方法―『後れ』が導き入れる現代の物の怪と憑坐(よりまし)」『言語態』第11号、東京大学言語態研究会、2011年。
複雑怪奇で懐の広い、後期の作品群が私は気に入っていて、大江健三郎の小説で一番最初に読んだのは『さようなら、私の本よ!』でしたから、ちょっと変な読者なのかも知れません。でも小森陽一さんの『歴史認識と小説―大江健三郎論』(講談社、2002年)にも、同じような読者が想定として出てきます。かつて『さようなら、私の本よ!』が出版された後に、池袋のジュンク堂での講演を聞きに行き、その後でサインをもらうときに、大江さんは「これは批評に恵まれてないんです」と至近距離で私に向かって言いました。びっくりして何を返事していいのか分からなかったあの時から、少し時間が経ったのだなと思います。
校正をしているときに初めて気が付いたのですが、これは私の先生の小森陽一さんの理論的な着眼点の影響をとても強く受けているようです。
(1)論文の前半部分で、「おくれ・おくれる」について、英語と日本語の境界を越えて、近代とそれ以前の境界を越えて、多方向的な「検索」をかけるというのは、小森さんが『すばる』で連載していた自身の夏目漱石論について話をしていたときのことが頭に残っていたに違いありません。
(2)論文の後半部分で、物の怪―憑坐という「関係」を読解の道具として見出し、それを様々な場合についてあてはめて考察してみるというのも、小森さんがゼミの場で再三強調していた、ある観点を設定したうえで詳細な登場人物間の関係のマッピングをしてみるという必要性を、自分でやってみようとしたのだと思います。
(3)(ミクロな)シンタクス(統語)を見事に読み解いて(マクロな)全体の読解につなげていくのも、私の中では小森さんの方法の真骨頂の一つですが、非常に細かいところで何とか真似をしようとした箇所があります。
(4)制度としての「近代(文学)」を(ギョーカイとして)仕切る線に捉われないようにという態度にも影響を受けています。
逆に、(古代・中世文学の場合と若干異なる現代の多元化された)物の怪―憑坐関係の網の目を作品全体に見出そうとするのはいいとして、それが実際に何を見出したことになるのか、本来その考察をもう少し先に進める余地があったのではないかなという反省点が、私自身の中での不十分な点として残りました。もう少し先が見通せるはずではなかったのか、と。
大体書いている途中は必死すぎて何をやってんだか自分でも分かってないのですが、何かを見通そうとしたときに、方法的な思考に強い人に教わっていたというのは、暗闇の中の手掛かりになるのだなあと振り返って思います。本人が読んでなさそうなところで、地球の反対側の方に隠れて、そっと感謝を。
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