domingo, 8 de agosto de 2010

chuyma usutu

 今日聞いた話なのだが、あまり直接には自分の研究に関係なさそうなので、ここに書き留めておこう。
 ラパス市内を流れる川沿いに下っていくと、街の向こう側にイリマニ山のふもとまで、Río Abajoと呼ばれる標高の低めの地域が続いている。毎週日曜日は、僕のahijadoたちを連れて、そこに住んでいるおばあちゃんのところに行きます。
 そこの犬が去年毒殺されたので、今年の頭に家族皆で、エルアルトの16 de julioの市場という巨大な市場があるのですが、そこに子犬を買いに行ってきたのでした。今回行ったらまだ子犬のように無邪気なのですが大きくなっていた。数日前にその犬の調子が悪くて...という話を、昼ご飯の途中でおばあちゃんがしていて、最初他の人たちは毒を盛られたのではないかと思っていたらしいのだが、おばあちゃんはchuyma usutu(直訳するとEl corazón me duele、心が痛む)だと言い張ったらしい。「それは何?(Kunjamäs ukax.)」と聞いてみると、他の犬と夢中になって遊んだりした後に、なんというかぐったりダウンすることがあるらしい、そういうときは、前足や後ろ足や尻尾や頭や、いろんなところを軽く揺すってあげると元気になるということだ。ほら確かに元気になったでしょう、と言われる。ふーん。
 あと気付いたのは四匹いた猫が全部いなくなっていて、これはmulu(mulu mulu)のせいになっていた。これは聞いてみると小型の山猫のことなのね(スペイン語でgato montés)。本当かどうか知らないが、でもそんなのここにいるんだねえと話していたら、jach'a laq'uというのも教えてもらった。アイマラ語の辞書を見てみると狐なのだが、どうもこの家族はプーマのことを指して言っている気がする。おばあちゃんは、「このjach'a laq'uはこの辺ではあまり見ないらしいが、anda con fuego prendido(火が点いたようにうろつき回る)のだってよ」、と言っていた。
 今回行ってみたら、このおばあちゃんの一番下の娘が妊娠していた。この子は僕よりも年下で、15歳のときに初めて子供を産んでいて、次で三人目ということになる。いい知らせだ。
 ここでは結構あっさりと人が死んでしまう。手術が必要になると手術代は大抵払えない、兵役で低地の奥の方に送られると行方不明になっても探しにいくことすらできない(雨期にはバスだと一週間くらいかかる)、kharisiri(kharikhariとも、sacagrasa、人の脇腹から脂を吸い出す妖怪)に起因する原因不明の病気になったりする。ここ数年の間に、二人死んで二人死にかかった。だからこそ生命の力強さを目の当たりにすると嬉しくなる。人が生まれたり、人がもう一度生きようとしたりすることには、大きな価値がある。

No hay comentarios.:

Publicar un comentario