去年からあるアイマラ語の文書に取り組んでいる。1980年代に行われた、20世紀前半の先住民運動のある指導者の子孫たちへのインタビューの記録なのだが、これが本気で難しい。村の人たちが話している言葉そのままなので、話が錯綜したり停滞したり飛んだりする。ネイティブの人の助けを多大に借りて何とか慣れてきたのだけれど、難しいことに変わりはない。
昨日ふと気付いた、ちょっと面白いかもしれないことを。
"juma uñjam nä kamachaniw sistas nä ukanx kun manq'an khitiw yap lurarapin sas när ukham jaytarapayistax" sasaw six siya 試しに直訳してみると次のようになる。
"Tú mirá, yo qué va a ser me dices, yo en eso qué va a comer, quién va a hacer chacra (para ella) diciendo a mí así me has hecho dejar" diciendo dice dice pués.
ここは、軍に捉えられて低地に強制的に送られていた指導者が、一年越しに戻ってきたときに妻になじられる、という話。要は「私にどうなれって言うの」という語句が入っているのだが、人称に応じて動詞を活用させなければならないとき、「なる」をどの人称で活用させるのかが問題になると思うのだよね。普通のスペイン語だったら、「私」に合わせて一人称で活用させるのだけれど、どうもこの場合は三人称で活用させるんだなあ。
こういうたまに出てきてくれないとどっちなんだろうと考え続けることに、たまに出会うことがあって、「おおっ」と思うことの一つです。
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