僕のケチュア語の先生が交通事故に遭っていた。今日訪ねていったら、息子が先に教えてくれたからよかったものの、二階の手すりから僕の名前を呼ばれて、一瞬誰だか分からなかった。痩せて、やつれて。でも話しているうちに、顔がどんどん元の表情に戻ってくる。四月の終わりに事故に遭ってから、二週間意識不明で、気がしっかりしてきたのもこの三週間くらいのことだという。
この人はEdith Zevallosと言って、Bruce Mannheim(米国)とかCésar Itier(フランス)とか他の外国のケチュア語関係の研究者のカウンターパートのようになって、学生を受け入れたり世話をしたりしてきた。去年は一年間ミシガン大学に客員として行っていたので、会えなかったのだ。
元々の村(Pomacanchi)の、かつて一緒に時間を過ごしてケチュア語の練習をさせてもらった家族の近況も聞く。先生、生きていてよかった。アイマラ語の勉強を始めてから、どっちつかずのカタツムリ行進が続いている僕のケチュア語も、もうちょっとうまくなったところを見せたい。来年また良くなったら、色々と質問に答えてもらう約束をして、お別れをする。その人に会うと、昔のその一つ一つの瞬間とその空間の雰囲気が戻ってくる。
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