<貧しいということは資本が自分の身体しかないということだ>というのは、私の修士時代の先生の一人(ロバート・チェンバース)による名言で、悲しいことに様々な場合に直観的に役に立っている。
日常をともにするだけでは、その穏やかさや幸せや愛情だけでは、困窮の中にそれが全てこぼれ落ちていくようなときがあり、命はとても脆く呆気ないものであり、そうして昔の私の専門ともう一度向き合えと運命が後押しをする。私はかつて、貧困と開発を専門としていたのだった。
人の命は意外としぶといと思おうとしたが、そんなことはなかった。
「祖先」を崇め称えるようなボリビアの先住民主義的言説の中で、私はアイマラのお年寄りが蔑ろにされ、家の一角の狭く暗い場所に追いやられ、寒々しい日々を送る様子を見たことが一度ではない。自分は自分を貫きながら、絶対にその見たことを、そして「祖先」という言説の白々しさを、忘れないし、許さない。
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