元々アイマラ語やケチュア語などの先住民言語を話していた人々が、移住などを通じて都市のスペイン語世界に巻き込まれていくと、親から子への先住民言語の伝承が行われなくなり、スペイン語のモノリンガル(単一言語話者)化が進んで、先住民言語の話者数が減少していく……というのがよく言われる話だ。そして広い意味でこれは間違ってはいないかもしれないのだが、私は少なくともそんなに一直線にこの過程は進まないだろうと思っている。
20世紀を通じて、アイマラ語もケチュア語もいずれ話者は絶滅すると考えられ続けてきたのだが、21世紀に入った現在もそんなことは全くなかった。そしてボリビアの高原部では話者数が1000人ちょっとしかいないウル・チパヤ語ですら、勢いを盛り返しつつある状況にある。多くの言語が危機的状況にある中でも、先住民言語における<もうだめなのだ>という言説には、少なくとも注意してかからなければいけない。
そんなに簡単に消え去らないのは、日常生活の中で色々なメカニズムを通じて先住民言語が使われ続けているからだと思う。その中で重要なものの一つに「内緒話」があると思う。階層間の分断がある際に自分たちの側だけで使える言葉があったり、仲間うち(たとえば市場の女性たちの間)で気楽に話をするときに使える言葉があるとかなのだが、最近親同士で話をするときにもそういうことがあるかもしれないと思うことがあった。
それは、周りに自分たちの話の内容を知られたくないとか、子どもに自分たちの話を聞かれたくないとか、そういうときに使われるものだ。私が仲良くしている家族の中で、子どもの頃にはケチュア語の世界の中で育っていて、随分と後に若い親になった女の子が、とても久しぶりにケチュア語で色々と夫に向って話しているのを聞きながら、こうして役に立ったり使われたりしていくこともあるのだなあと、私は感心しながらその様子を眺めていた。(夫はケチュア語を決して話さないが聞けば分かるし、子育ての手伝いに行っている彼女のおばさんはケチュア語を完璧に解する。)
ラパスで仲の良い家族のおばあちゃんは、孫たちに向ってはスペイン語で話すのだが、そのスペイン語の中にはアイマラ語の単語をスペイン語化して話しているものが数多く混ざっていて、したがって一緒に暮らしている孫たちは、少なくとも語彙の面ではかなりアイマラ語が分かる。
たとえ全体の流れとしては「負け」であっても、先住民言語は様々な形ですり抜けて、もれ出して、しぶとく使われ続けていく。
*これは3月23日にツイッターで簡単に書いた内容を少し丁寧に書き直したものです。
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