ペルーのクスコというのは、観光に強く規定された文脈をもちつつも、それを超えて魅力的な街だ。でも、植民地から独立後共和制を通じての有力者たちの家のあり方や、街の中心部に残るインカの建築の跡からは、威圧的な印象を受けることも確かだ。これは、西洋とアンデスの対立という図式からは、また少し異なる感覚なのだろうと思う。
そういった中心部の抑圧的な場の中で、うちの家族は角から角を、陰から陰を結ぶようにして、温かい飲み物やサンドイッチを売り歩いて回る。観光客たちにではない。観光客や街の人に物を売る側にいる人たちにである。観光客たちが作り出す物価の高くなった経済ではなく、それを下支えする人たちの経済に、そのさらに背後から回り込み、潜り込んでいく。
市役所の人間や警察に見つかると排除される。その排除をかいくぐるようにして、しぶとく動き回る。これを長い期間やってきた人たちは、自分たちのところを通り過ぎていく人々の、誰が泥棒で、誰が何を売っているかなど、そういうことをよく知っている。街を裏側から知り尽くした人たちだ。
クスコの街は、観光客を重視する流れの中で、2000年代の初頭に「きれいに」なっていった。サンペドロの市場や列車の駅の前を所狭しと埋め尽くしていた露店はすべて排除され、その名も「コントラバンド(密輸)」と呼ばれていたもう一つの露店街Avenida del Ejércitoは高速道路という元々の意図されていた姿へと戻っていき、街の複数の場所に新たに建設された市場へとそれらの商人たち(インフォーマル・セクターの働き手たち)は再配置されていった。
(これはボリビアのラパスの街では考えにくいことで、クスコの街の息苦しさについての私の印象に、大きな影響を与えた。)
何がうまくいっているわけでもなく、生活はいつだって苦しく、生きていくのは本当にたいへんだ。でも、私は、この家族を通して、このように街を下から、そして後ろから見るような見方を獲得してきた。
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