(ただし、様々なコンサルタント業務や大学などで支配社会の側と接触が多い人は、点過去を使うことがあるように思う。また、過去の事実を強調しようとすると点過去が使われることがあるような気がするのだが、これはまだ要追跡確認。)
現在完了と線過去の使い分けは、おそらく現在完了がアイマラ語の単純形・現在過去形(simple, presente-pasado)という(現在とともに)近い過去を述べる形に対応し、線過去がremoto cercanoという少し離れた過去だが自分が実際に経験した過去を述べる形に対応する。ちなみに、自分が経験していない・忘れている過去を述べる際には、アイマラ語ではremoto lejanoという形が用いられ、それはスペイン語では過去完了で述べられる。この最後の点は、よく知られている。
そうすると、アンデス・スペイン語の線過去の使い方は、規範文法における線過去の使われ方と少しずれてくるはずなのだが、そこの差異をまだはっきり私はつかめていない。
さて、この線過去と点過去はdeberやtener queという表現と組み合わさると、またある種の複雑さを帯びるようだ。debías venirというと「あなたは来るべきだったのに」で、これは実際には来なかったことを責めている。これはアイマラ語でreprochadorという、remoto cercanoの屈折接尾辞(活用語尾)に独特の屈折接尾辞を組み合わせた形があり(動詞の不定詞の形はjutaña、ここでの形はjutasamän)、それに対応している。ベースがremoto cercanoだから線過去、という対応もある。さて、has debido venirというと「あなたはきっと来たんだよね」となり、これはおそらく事実としてそうであったことを推量する。これは-pachaという動詞接尾辞(inferencial)に対応している。これは単純形に-pachaを付け加えたような形をとるので(jutpachata)スペイン語でも現在完了だ、という対応もある。
さて、deberとは別にtenías que venirという形がある。これは実際に来たかどうかはどっちでもありで、その人にくる必要があったことを問題にする、たぶん。これはアイマラ語では不定詞にremoto cercanoの屈折接尾辞を組み合わせた形に対応していて、だからスペイン語でも線過去だ、という対応がある。
これでだいたい合ってるかな。要検討。さて、それで、これがスペイン語の規範文法とどれくらいずれるかが、依然として問題か。言語接触では、スペイン語の元々の用法に相手の言語の用法を受け入れる素地があるから、接触による変化が起きる、とも考えられるので、アイマラ語に合わせてスペイン語が変わりました、という単純な話ではないはずなのだ。
これは本来まったく自分の専門ではないのだが、関心をひとたびもつと興味が尽きない。なんと複雑な言語世界をボリビアは生きていることか。
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