miércoles, 8 de febrero de 2023

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その5)知里幸恵と同世代の少年たちが筆録したアイヌ語(吉田巌遺稿資料)

(2023年10月1日に若干の追記を行いました。)

 ここしばらく、2017年くらいから、私が所属している研究グループでは十勝地方のアイヌ語の記録の回復に取り組んできている。一つの成果としては、千葉大学アイヌ語研究会編『沼田武男「採訪帖」―アイヌ語十勝方言テキスト集』 (千葉大学文学部ユーラシア言語文化論講座、2021)が刊行されていて、また最近の取り組みの進展は中川裕「<アイヌ語を語り継ぐ>言葉の流れ 今も脈々と」(『信濃毎日新聞』、2023年1月15日)で紹介されている。

 様々な理由で十勝のアイヌ語やアイヌ語で語られた口承文芸は、なかなかその姿を把握することが容易ではない。 それは、かつてこの地域で重要な録音作業をしていたはずの帯広畜産大の辻秀子さんによる記録資料が、整理をされないままで行方が分からなくなったことも一因である(以前のエントリー「アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その3)」も参照、なおこの件には前進がみられるようだ)。また本別の沢井トメノさんが伝承した記録は、浅井亨、切替英雄、高橋靖以、澤井晴美の各氏によって公刊されてきているが、文字のみであって、音声が公になっておらず、また記録された資料の全貌がどれほどなのかも明らかになっていはいない。おそらく現状で公刊されているのは、沢井トメノさんが語り伝えたことの一部でしかないだろう。(上の辻秀子さんの記録のなかにも、沢井トメノさんの語りは複数収められていたことがみてとれる。)

 ここでとりあげるもう一つ大きい点は、十勝を拠点とした吉田巌が遺した資料のなかのアイヌ語部分がほとんど公になっていないことである。これは「吉田巌遺稿資料」という名称で、帯広市図書館に保管されてあるといわれ(蔵書検索では出てこない)、またその複製が北海道立図書館で閲覧可能になっている(以下の米田(1995)によれば、道立図書館で公開されているのは全体の一部でしかないらしい)。これは中身を見てみると、虻田学園をはじめとして、吉田巌が学校で少年たちから提出させていたらしい、それぞれの少年たちの出身地でのアイヌ語と伝承の記録が、多数収められている。

 この吉田巌遺稿資料のアイヌ語部分がもつ重要性は、札大の本田優子さんのかつての仕事である米田(1995)「アイヌ農耕史研究にみられる伝承資料利用の問題点」(北海道立アイタ民族文化研究セソター研究紀要』第1号)においても指摘されており、そこでは、これらのアイヌ語資料の今後の公刊に期待が寄せられていた。しかしながら、この吉田巌遺稿資料は、帯広市によって「帯広叢書」というシリーズで公刊が続けられてきたが、不思議なことに、上述の少年たちによるアイヌ語の記録資料部分は、現在に至るまでほとんどそこに含められていない。唯一、若き日の江賀寅三による記録が収められているが、これすら江賀寅三の名前で遺稿資料に収められている記録の、ごくごく一部でしかない。そもそも資料の全貌がどれくらいあるのかすら分からない。

 吉田巌のアイヌ伝承に関する記録は、「帯広市社会教育叢書」というシリーズでかつて刊行されていたものの中に複数収められているのだが、不思議なことにそれぞれの伝承の出典や語り手の情報はほとんど示されておらず、またアイヌ語の原文がある場合が複数あると思われるが、日本語でしか書かれていない。したがって刊行された記録と、原記録のあいだの対応がついていないのだ。

 このアイヌ語の記録が興味深く、重要性が高いのは、記録を残したこの少年たちが知里幸恵とほぼ同時代の、ほんの少し年上の世代に属していることである。同時代のアイヌ語の記録としては、金田一京助の影響のもとでアイヌ語の筆記にとりかかった知里幸恵が、孤高の存在として屹立している印象をどうしても受けてしまうが、同時代に吉田巌の学校でもアイヌ語をひらがなやカタカナを用いて記録していた子どもたちがいたのだ。その少年たちは十勝の出身だけではない、上述の江賀寅三をはじめ(彼は長万部の出身である)、白老や沙流川筋の少年たちの名前もそこにはある。学校の、おそらく宿題のような形だったのではないかと推測されるが(「國の宝」と題されたものが多い)、そこで子どもたちが苦心してアイヌ語で、あるいはアイヌ語と日本語の併記の二言語テキストとして、そして時には日本語だけで、地域ごとのアイヌ語を比較し、日記をアイヌ語でつけ、伝承を記録している。日記といえば、江賀寅三少年は、ジョン・バチェラーとアイヌ語で話した!と、その内容をアイヌ語で丁寧に記録して提出したりもしている。その躍動するアイヌ語が、図書館の片隅にしまい込まれたままになっていて、現在の若い世代のアイヌ語を回復しようとする人たちと断絶されたままになっている。

 2022年から2023年にかけては、知里幸恵の没後100年から『アイヌ神謡集』刊行100年という、大きな節目の年を迎えている。と同時に、知里幸恵を一人にしないことも大事なのだと思う。同時代の社会と、そこでの若い人たちのアイヌ語を記録するネットワークのなかに知里幸恵を位置づけなおす。そのためにも、吉田巌資料のアイヌ語記録部分は本当に本当に大事なのだと思う。

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