実際に「途上国」と呼ばれる場所で人々と時間を共にする生活を始めると、まずは「貧しい」「貧困」というのが実はよく分からないのだということに気付いて、「途上国」とか「貧困」という考え方にとても慎重になる。人々はそれぞれの生活を生きているのであって、社会はそれぞれの理屈で動いている。これはフィールドワークに近いことをやる人々が通る通過儀礼のようなものだ。(そしてその過程で段々と他の人たちと話も意見も合わなくなってくる。)ただそれでも…。
うちの家族の長女は、去年からエルアルト市で、北部パンド県のコビハ市やベニ県のリベラルタ市を中心とする低地との間の長距離トラック輸送の世界で仕事をし始めた。最初働いていた会社があまりにきつくて、若い人たちだけで独立して、仲間割れして喧嘩別れをして、ほぼ一人で色々と調整をしたりして、そのうち最初の会社のライバル会社に雇われて今に至る。長距離トラックの運転手たちは勿論一筋縄ではなく、喧嘩腰で荷物と出発の調整をしなくてはならない。たまに顔を見に行くと、ご飯を一緒に食べていてもひっきりなしで携帯が鳴り続けて、この子は怒鳴り続けている。
元々喧嘩っ早い、性格の強い子だったのだけれど、家族のうまく行かなかった、自分の人生のうまく行かなかったあれこれとその割り切れなさを、そういう世界に対してぶつけているのかなと思うことがある。
今日はその子の誕生日。元々子どもたちの誕生日を忘れることで評判の悪い私が、今年だけはちゃんと全員お祝いしようと思って、ケーキは自分が用意をして、帰れたら帰っておいでと伝えておいた。直前になって「仕事でちょっと困ったことになっていて、一時間遅れるけど必ず帰るから」と連絡が来て、そしてその後に電話がまったくつながらなくなった。この家族の家はラパス市内でも治安のよくない地域なので、「あとで楽しむんだよ」と言い残して先に帰って来た。
一番下の子はひどい風邪を引いていて、お母さんは過労も響いて慢性的な体調の悪さだ。
そんな中で、私は週末に友人の村の祭りに行って、モレナダ(morenada)と呼ばれる踊りを踊ってきたのであった。
うちの家族は祭りで踊ったことのある人がまったくいない。それはもちろん衣装代や参加代が払えないからだが、それだけではなくて、下に見られるから社交とか親戚づきあいとかに積極的にならないという面もある。私がお祭りとか踊りとかにあまり研究者としても積極的になれないのは、やはりそこから排除されている側にいることが多いことと、強くつながっている。そんなこと言っている場合じゃないよという感じが、やはり自分の根本にある。
(これは広い意味で、貧困を「社会資本(social capital)」の欠如としてとらえる考え方を、実地でいっていることになる。)
それでも、今年僕が踊ることを家族の皆が楽しみにしてくれているから、もう一度踊るけどね。見に来てくれるならば、それは嬉しいよ。
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