martes, 4 de enero de 2022

【アイヌ語口承文学の名言その4】往来しているのは人間だけじゃなくて、背後を守るカムイも一緒に往来しているのだから

黒川トヨ(藤村久和訳注)「欠けた小鍋の教えで立身した少女の話」 『トゥイタㇰ(昔語り)3』北海道教育委員会、2000年、pp.143-186。[沙流のアイヌ語(貫気別)]

地域の有力者が亡くなった際には、周辺の村々からも弔問客が訪れる。その際には、貧富の差が露わになり、貧しい身なりの者たちが心無い言葉をかけられるということもあったのであろう。しかしながら、そのような人間の扱いに差をつけることを戒め、全員を迎え入れようとする言葉もあるのだ。次にとりあげるのは、そのような言葉である。

"nep ne wenkur hene nep hene yakka itupesnu wa i=koasuttasa sir ne wa aynu patek apkas sir ka somo ne. kamuy ka itura kane wa apkas ne kusu iteki neno hawasnu neno hawsakka ahun ahun"
(どんな貧乏人でも(どこの)誰であっても死者を悼んで我々の所に弔問に訪れているのであって、人間ばかりが往来しているのではない。憑神さまも人と一緒になって往来しているのだから、決してそんなことを言わずに、そんなことを言わないで、[家の中に]入った入った)(p.158)

この散文説話(ウエペケㇾ)の主人公の娘は貧しい暮らしの中で育っていたが、川下に住む長者の家の青年が、鹿の片足を分けてくれるなどして、彼女たちの生活を助けていた。その青年が急な病で亡くなったというので、主人公の娘が一族とともに弔問に訪れている場面である。それぞれの人に憑いているカムイがいて、カムイは力をもち、敬うべきものでもあるから、人を暮らしぶりや外見だけで判断してはいけない、というようにこの言葉を受け取ればよいだろうか。

ちなみにこの物語、主人公の娘がその弔問で訪れた家で困っているあいだに、戸口にたくさんある鍋の一つが動き出して、その鍋が娘に向かって話し出す。その鍋が教えてくれるには、実は長者が悪気があってではないが家の外にゴミの山を作っていて、そこに魔物(アㇻウェンカムイ アㇻカミアㇱ)が潜り込んでいて、その魔物(女性らしい)が青年の魂(ラマチ)を奪ってゴミの下に隠しているのであった。娘がこのことを述べ立て、村の若者たちがそのゴミの山を片づけると、実際に長者の青年の魂の玉(タマヌㇺ)が出てきて、それで彼を生き返らせることに成功し、娘はたいそう感謝をされ、この青年と結婚することになる。

このようにカムイとこの世界で直接会話をすることのできる娘は、ただものではない。通常は、人間はこの人間のくに(アイヌ モシㇼ)では、夢を通してしかカムイとコミュニケーションをとることはできないことになっているからだ。後から、この娘が幼い頃に水のカムイ(ワッカ ウㇱ カムイ)の遊び相手となっていたのであり、カムイの血筋を引く者として水のカムイに目をかけてもらっていたのであったことが明かされる。件の青年もカムイの血筋を引く者であった。娘は、水のカムイからカムイの肌着(カムイ モウㇽ)を授けられ、巫術(ウエインカㇻ)の能力をもって村で大事にされて生きていくことになる。

散文説話では、上に示したようなある種の社会生活の指針のような言葉が出てきておもしろいが、同時にこの物語はとても独特な展開を見せている。研究者のあいだでも話題になっているが、沙流川筋でもこの黒川家の一族には、とても不思議な物語が伝承されていたことが次第に明らかになってきており、まだまだアイヌ語の物語世界への興味は尽きない。



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