古典花をやっていると、枝や茎の形を作っていく作業がとても重要になる。現代の花でも枝を丸めたりなどの細工をすることがあるが、古典の花は一本一本を作っていかないといけない。より職人的な作業が必要とされるというか。
この前に桔梗を生けていたときに、おもしろいことに気づいた。この草は切り口から粘り気のある汁が出てくるが、これが手についてくると茎の先端の細いところまで、けっこうきれいにためることができる。それは、水仙の花茎から出る汁を葉をつけるのに使うのと、少し似ている。
これは、身体を通じて植物に関わり、植物自体にどうすれば良いかを教えてもらうということだと思える。身体を植物に近づけて同期させていくような。
しかしそれは、植物を人間に近づけるということでもある。人間の思う正しさや、人間の思うありのままだ。相互浸透したい欲と、人間を投影してしまう業との間で、花は生けられてそこにある。
写真は桔梗の9本生け。市場は梅雨が終わる前にもう秋の花が出回る気の早さだ。
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