危機言語の活力を測る際に、その言語の単一言語話者の数のみが重視されることを問題視し、支配言語との間の二言語話者の重要性を指摘し、そこに新たな可能性が見いだせないかと模索することは、よい。しかし、権力が作用し、その権力に植民地性(colonialidad)が不可分に組み込まれている際に、先住民言語とスペイン語の二言語使用をただ礼賛することは、それ自体が抑圧として機能してしまう。先住民言語の方が得意な人々に対して、そして都市と農村を行ったり来たりする人々に対して。
同様に、均質化しつつあるように見える現実において、新たな差異を我々が見過ごしているのではないかと問い掛けることは、よい。でも私は、その現実に取り残されつつある人々の間で、そこにも新しい可能性があるんだ、と言いたい。そのような可能性を見出したいのだ。
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