domingo, 4 de septiembre de 2016

いのちから人の目を背けさせる宗教

わたしは、もう10年以上前から、「お前は、よきカトリックか?」という問いに対して「はい」と答え(その場で他に選択肢などなかった)、洗礼に立ち会い、口から先に出た言葉が自分に連れてくる責任を引き受けるということを繰り返してきた。

(注:これは人類学者にとって当たり前のことではありません。あくまでも私個人の選択として、です。)

しかし、今回ほど気が進まない洗礼は初めてだ。宗教は、人のいのちから人の目を背けさせることがある。人は何かから手を放そうとするときにも宗教にすがる。そんな宗教は、わたしは認めない。認めることなど、断じてできない。

それでも、いま一度、わたしは「よきカトリック」になりに行こう。

(追記)後から考えると、人間は弱いのでいのちから目を背けたがるが、その中でいのちはしぶとく生き残ろうとするのだな、と思う。だから、いのちを信頼して洗礼を受けさせに行くので、それでよかったのだろう。

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