ラパスの街から渓谷部(バーリェ)に下りて行くと、そこでは空気が和らぐのが肌で感じられる。そのやわらかい空気の中で、夜になっても冷え込まない空気の中で、暗くなった後に家の入り口を開け放して外になんとなく人々が集まって、話をしたり、酒を飲んだり、ゲームをしたり、タマネギの皮をむいたりしている。
こういう光景を見ると、その空気を味わうと、ああ自分がラテンアメリカにいると思って懐かしくなる。これは考えてみると不思議だね。私は、もともとペルーのクスコやボリビアのラパスを調査と生活の拠点としているので、アンデスの標高の高い街の空気がきりりと張る感じ、空気が薄くて意識が研ぎ澄まされていく感じの方に馴染んでいるのだ。
そういう中をラパスの街に向って帰り始めると、だいぶ坂道をずっとずっと上って行ったところで、山あいの向こうにラパスの街の灯りが見える。
ずっと向こう側に自分がいる街の灯りがパッと広がる感じは、昔からよく覚えている。
水などの開発プロジェクトの調整で、ペルー北部のアンデスで一週間村々を回ってきた後に、山を下り終わってはるか向こうに一直線にピウラの街の灯りが広がったときの感じ。
一日山の上の方の市で家族総出で商売をやった後に帰って来て、峠を越えた瞬間にペルーのクスコの街並みが眼下に広がり、その黄色の光の海に向かって降りて行くあの感じ。
国境などから戻ってきて、ティワナクを過ぎて小高い丘の峠越えをするときに、向こう側にいきなり広がるボリビアのエルアルト市の灯りと、ああ文明に帰ってきたと思うあの謎の感じ。
渓谷部にある村に夜のギリギリまでいたあとで、何とか近くの町から帰るための車を見つけて上って来たときに、山が折り重なった向こうの上の方にわずかに姿を見せるボリビアのラパス市の灯り。
アンデスで、そして世界中で、どれだけの人々が、空気のやわらかさや硬さを感じて、そして戻って来た街の灯りを眺めながら暮らしているのだろうか。
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