去年このブログに、「先住民的なポストコロニアル思考に向けて?」というエントリーを書いたことがある(スペイン語)。
(http://lapazankiritwa.blogspot.com/2011/09/hacia-el-pensamiento-poscolonial.html)
私のアイマラ語の先生のJuan de Dios Yapitaは、馬とロバ(asnu)のたとえ話を最近よくする。馬はロバのことを良く知らなければいけないし、ロバも馬のことを良く知らなければいけないんだ、と。この話では、馬にはボリビアの混血層が、ロバにはアイマラの人々が念頭に置かれている。
(厳密にいうと、スペイン語単言語話者とスペイン語・アイマラ語二言語話者と、アイマラ語単言語話者とという区別になっている。)
この話が面白いなあと思うのは、権力関係(relaciones de poder)まで含めた文化間の相互関係(interculturalidad)を上手に喩えているように思うからだ。そしてそれはアイマラの側から見た考え方なのだ。
混血層は、声が大きく、もったいぶっていて、よく知らないことでも自信たっぷりに話す。parlanchinとかphaku-phakuとか言うのは、そういうことを表す言葉だ。
アイマラの人々は、むしろいつ話そうか慎重になる。大きな声で話すのは尊敬を欠いていると考えられることが多く、批判されるかもしれないと気を付けながら、話すべきときとそうでないときをよく見分けないといけない。Janiw parlañakïkiti (no hay que hablar nomás)とか、Jaqjamaw parlaña (Como gente hay que hablar)と言うのは、そういう教えだと考えていい。
熟考したうえで知識と経験に基づいて話し、人としての「道(thaki)」をついて歩こうとする(注1)。そこには、文句を言うだけでない、自立したアイマラとしての人間の在り方を、伺い知ることができるのだと思う。(私の先生は、自分たちが抑圧された側(subalternos)になってはいけないと主張する。)
(注1)Nanakax jayp'uyapxta. Jumanakax sarnaqapxakipunrakchïtaya. (Nosotros estamos anocheciendo=envejeciendo. Ustedes seguirían por el camino.) (Conversación con Juan de Dios Yapita, 14 de enero de 2012)
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