ずっと前にふと思っていてから放置していたことを、今更ながら。
ボリビアのラパスで空港に向かおうとするとき、だいたい僕がいる辺りのところからは、高速ではなく普通の道を上がっていく方が近いので、つづら折の坂道(街なかですけど)をぐるぐる回って上っていくのだけれど、たまにちょうど良く朝日が射しはじめた時間帯に通ることがある。
もう街は動き始めているのだけれど、たまにふとたたずむおばちゃんがいることがある。急斜面に街があるので、朝日の方角に向けて300m以上の落差のある空間を一望に見渡せる。やわらかな暗めのオレンジ色の朝日があたる。こういうときに、ああこれは神様に愛されている感じがする、と思う。ラパスの街は上に行くと階層が下がっていくのだけれど、ここに住む人たちが街の全体を知り尽くす主役だ、という感じとも合わせて。
そして…、
現実としては全く関係が無いのだけど、同じ感情をもったことがもう一回だけあった。それは僕自身が修士課程をやっていた、イギリスの国際開発研究の研究所。ラテンアメリカの従属論系統の論者や南アフリカからの政治亡命者を受け入れてきた大学のその研究所は、先生全員がすごい勢いで働いていて、学生は若干無視されがちで、そして設備はとても整っていなかった。もちろん僕はとても批判的で、ブツブツ言っていた(議論の場では僕は実はよくしゃべります)。
ただし、幾つも印象に残っている中でも最も初期のものは、全体として(程度と質の違いもふくみながら)共有されている危機感だった。このまま同じことをやり続けるならば、そもそもそのようなアウトプットが存在することには意味がなくて、我々は常に間違えてきたのではないだろうか。自分達の植民者としての時代に向き合うことへとつながっていく強い批判的な思考、この感触は日本の大学にいてそれまでに得ることはなかった。
危機感が緊張感を生み出すその中で、複数の応用理論的な取り組みが進行し、それは2000年代のこの分野に関する僕のイメージの骨格を形作っている。この研究所の狭い廊下のじゅうたんを踏みながら、ああここは神様に愛されているかもしれない、と二回ほど思った瞬間があることは、今でも覚えている。
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