近年はツイッター上で、この時期の幾つかの式辞が話題になることが増えてきたように思う。
古くは、2016年の東京大学教養学部学位伝達式での、石井洋二郎教養学部長による式辞。「善意のコピペや無自覚なリツイート」に言及しつつ、情報への誠実さを説き、オチまでついていると話題になった。
「平成26年度教養学部学位伝達式式辞」(リンク)
ちなみに、『教養学部報』第588号における「駒場をあとに」も話題になった。
「駒場をあとに――さよならコンサート」(リンク)
2019年度も入学式の式辞が話題になっている。一つは、上野千鶴子WAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)理事長/東京大学名誉教授による学部入学式の祝辞。批評と祝辞を両立させる見事な試みとして話題になっている。
「平成31年度東京大学学部入学式祝辞」(リンク)
もう一つ注目したいのは、大学院入学式での大西克也人文社会研究科長による式辞。私はこの式辞にも非常に大きな感銘を受けた。
「平成31年度東京大学大学院入学式人文社会系研究科長式辞」(リンク)
特に感銘を受けた二つの段落を、以下に引用したい(下線による強調は藤田による)。
(第三段落)
史記』は優れた歴史書であり文学です。揺れ動く時代に自らの生死と命運をかけて生き抜き、あるいは翻弄され滅んでいった人々の生きざまが、作者の冷徹な視線と、時に矛盾を孕んだ複雑な感情を通してドラマティックに描き出されます。私は高校生の時に翻訳で読んだ『史記』にたちまち魅了されました。優れた作品は原文で読みたいと思うのが世の常です。しかしいわゆる「漢文」ではなく、古代中国語としての原文に向き合った私が直面したのは、何も分からないという現実でした。なぜ、どのような必然性があって、どのような感情をもって、司馬遷はこのように表現したのか、作者にはどのような世界が目に映っていたのか、言葉と言葉が表現する世界認識との対応関係が全く分かっていないことに気づいたのです。私だけではなく、敢えて誤解を恐れずに言えば、誰にも分かっていない。これに気づいたことが、私が自らの研究を進めていく上での大きな力になりました。
(第五段落)
今にして思えば、私にとって一つの節目となったのは、2001年にカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で開かれた第4回古代中国語文法国際シンポジウムでの発表でした。私が取り上げたのは上古中国語のいわゆる「無標の受動文」です。日本語でも英語でも現代中国語でも、受動文は通常特別な文法形式を使って表現されます。しかし上古中国語には何も文法形式を伴わない奇妙な受動文が存在すると考えられていました。私は、この奇妙ないわゆる受動形式が、能格動詞と呼ばれる動詞にのみ見られるもので、受動とは無関係であるという趣旨の発表を行いました。実はこのような考え方は、今から40年ほど前にアメリカのシコスキーという研究者が発表していたのですが、論証方法に問題を抱えていたために厳しい批判を受け、その後ほとんど注目されていなかったのです。私の発表はシコスキーを参照しつつもゼロベースで論証を積み上げたものでしたが、動詞分類の基本的枠組みに関する当時の常識に反するものであり、その場で学界の権威と目されている研究者から面罵に近い批判を浴せられました。私にとって堪えたのは、権威からの批判よりも、直後に別の研究者から便乗するような形で批判を受けたことです。嵩に懸かって攻め立てるような口調に何とも言えない気分になり、反論しようにも言葉が出なくなりました。しかし数年が経ち、当時その場に居合わせた指導教授から勧められて、私の論文を暗唱するほど読み込んだという中国の若い研究者に出会いました。上古中国語における「能格動詞」というカテゴリも、今ではごく普通に議論されるようになりました。
この「我々は実は何も分かっていない」という感覚は、研究をする上で非常に大事だと私は思っている。これは、学部生の頃に二人の先生の授業を受けていて、じーっとこの人たちが何をやっているのかを考えているうちに、気づかされたことだ。一人は、法政大学経済学部(当時)の柳原透先生による開発経済学の授業、もう一人は、清泉大学文学部の杉山晃先生によるラテンアメリカ文学の講読の授業であった。
その思考の価値はそれを目にしたその一回で判断しないといけない、というのは、私は自分のゼミでも学生たちに先学期言ったことがあるが、おそらくこれは、東大の大学院での博士課程で徹頭徹尾お世話になり続けた小森陽一先生が、結局文学研究者の実力はテクストのその一点にどれだけの反応ができるかであり、その最前線に身を置けということを、言っておられたことに端を発しているように思う。
いま私は、何か違うことをやらないといけないという強迫観念に取り憑かれたような職場で仕事をしているが、そこで新しいとされていることのどれだけが本当に新しいと言えるだろうか。地に足の着いた、そして大学の枠を越えた繋がりの中で、真の新しさを目指したい。
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