lunes, 2 de mayo de 2011

伝承する語り手

金成マツさんという人がいた。岩波文庫になった『アイヌ神謡集』を残して早死にした知里幸恵という人のおばにあたる人で、金田一京助と知里幸恵の弟にあたる知里真志保という二人のために、英雄叙事詩を中心として膨大な量の筆記ノートを残した。それは、全体が公刊されるまではまだ果てしない時間がかかるかも知れず(公刊の取り組みは暫く前から止まっている)、そもそもその筆録されたものの全体を僕は自分の生きている間に読み尽くせるだろうかと思ってしまうような量だ。(そのお母さんの金成モナシノウクさんは、さらにすごい伝承者であったと金田一京助は言っているから、これは本当に果てしない話だ。)
中上健次『千年の愉楽』(河出文庫、1992[1982]年)という小説には、オリュウノオバという語り手が登場する。最初、ああ路地に住んでいる婆さんねと思って読んでいくと、段々とこの人は何年生きてきたのかが分からなくなり、死にかけながら蘇生して、延々と「中本の家に生まれたこの世の者でない者」の血統の話を語り続ける。僕は途中で背筋が寒くなった。夫の礼如さんが文字の世界の人間だとすると、オリュウノオバは口承の世界を生きている。
この二人の存在は、非常に良く似ている気がするのだ。時空を、特に時間を越えて果てしなき世界に触れてそれを語り継ぐということにおいて。『千年の愉楽』には、それが書かれた時代を刻印されたかのようなアイヌの若い活動家が最後に登場するのだが、むしろオリュウノオバのつながりが僕の印象には刻まれた。
このように時空を越えているのに、でも、この世には(もう)生きていない。この場合において、この時代において僕は、死んだ後に残された筆録ノートを通じてしか、書かれた文字を通してしかそこへとつながることができない。これは僕の世代と一回り上の世代までとの間の大きな違いだと思う。
そして付け足しでもう一つ。『千年の愉楽』には、最後の方になってこの物語を書くにはこれまでの英雄叙事詩の叙述の仕方では無理だったのだという示唆が出てくる。つまりこれは新しい英雄叙事詩を叙述しようとする試みなのだと言っているのだろうと僕は思う。それがいったい何なのだろうかと、津島佑子『黄金の夢の歌』(講談社、2010年)をもう一方の脇に置いたりしながら、僕は折に触れてここしばらく考えている。

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