わたしは言語習得と技術の関係があまり得意ではないのだが、でも将棋の世界が人工知能(AI)にどのように対応しようとしているかは興味深く見ていて(羽生善治さんが書籍も含めて積極的に発言されている)、これは言語の習得や異言語間のやり取りの未来についても、いろいろと示唆してくれるところが大きいと思う。
人間がAIと対峙する未来の方が、AIが人間の必要を全て適えてくれる未来よりもリアルに思える。つまり、自動翻訳の技術が進めば他の言語を学ばなくても良いよねという未来は、ビジネスの定型化されたやり取りのごく薄い層を除けば、人間としてはあまり想像できない。
それは比較的一対一の置き換えが楽なものばかりではなく、どう説明するかを皆で議論し合うような単語もあるからで(大学のスペイン語教員の間でよく話題になるのは例えば「部活の合宿」をスペイン語でどう説明するか)、唯一の正解がないとすると言語と翻訳のリテラシーがないと判断できないからだ。
AIが人間の思考回路を外れた予想外の「こう言えばいいんじゃない?」を提案してきて、それを前にした人間がああだこうだ議論する未来は、既に英語だとたまに散見されるようになってきているが、とても楽しみだと思う。 羽生さんが着目している、人間をうまくアシストできるAIというのも面白いし、それが最もハードルが高いというのも興味深い。でも、それはAIが人間に取って替わる未来ではなく、人間がAIに対峙し、どういう関係を築くかを考える未来で、たぶん残念ながら
ビジネスに役立つからという意味で英語を学ばなければ、みたいな学習動機は少し減って、全体で言語の学習者が少し減るかもしれない。
でもたぶん外交での翻訳がAIに取って替わられることは考えにくい。アシストされるにしても、最後は人間が責任をもって決める必要があるからだ。
重要な交渉と決定事は、自動翻訳がつなぐ会議ではなく、その前後で行われる皆で同じ言語で話す会議で決められる、というのは様々な分野で残るのではないか。
でも、AIが言語を学習できるようになると、既に日常生活で使われなくなった言語、すなわちネイティブスピーカーに確認できなくなった言語についても、実際に使おうとしたときに出てくる細かい「こう言っちゃっていいのかな?」という疑問を、人間と一緒に考えてくれるようになったりしないかな。それが実現する未来があるとすれば、それはラディカルに言語間の平等性が実現する未来でもあるよね。
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