以前に、「アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」」をその1からその5まで書いておいた。それは、自分にとっての課題の見取り図を、備忘を兼ねてここに記録しておくことが目的であった。その後も、実質的にそこで記した見取り図を参考にしながら、それぞれについて少しずつ取り組みを続けている。現状では、アイヌ語が記録された様々な資料が、大変に分かり難い状態で各地の機関に所蔵されている状況にある。それは結局、新しい世代でアイヌ語を学ぼうとするアイヌの若い人たちが、祖先たち・先行する者たちの記録にアクセスできないということにもつながる。その分かりづらさを少しでも見通しの良いものとし、願わくは少しずつ状況の改善を促したいと考えている。
さて、以下に記しておくのは、「その1」の追記である。知里真志保が残した記録を分りづらいものとしているのは、おばの金成マツが知里真志保のために筆録したノートとの関係である。知里真志保が残したノート類は北海道文学館に「知里真志保遺稿ノート」として所蔵されている。そして金成マツが知里真志保に宛てて筆録したノートは、北海道立図書館北方資料室に「知里ノート(知里博士遺稿ノート)」という名称で所蔵されている。(念のため、金成マツは金田一京助にも筆録ノートを遺しており、少ないが久保寺逸彦に宛てて遺した筆録ノートもあると言われている。) これだけであれば、話がきれいに分かれているのだが……
(1)知里真志保は金成マツの自分に宛てた筆録ノートを、自分のノート類の中に組み込んでいる。しかも、おそらくその組みこまれているのは金成マツが筆録した記録の全体ではなく、一部のようだ(この点も十分に確認されてはいない)。
(2)知里真志保遺稿ノートの中には、金成マツが筆録したノートを自身の筆記方法で書き直したものがあり、表記が異なるが内容が重複している部分がある。
(3)知里真志保遺稿ノートの中には、金成マツから直に聞きとったのだろうと思われる記録もあり、金成マツによる筆録と直の聞き取りが混在している。
(4)知里真志保遺稿ノートの中には、知里ハツ(子)から直に聞きとったのだろうと思われる記録があり、金成マツの筆録の中には知里ハツ(子)から聞いて書きとめた記録があるため、両者の記録が混在している。
(5)知里真志保は、多くの場合に(特に身内に近い者から聞きとっている場合に)記録年月日や話者の情報を書き記していないことがある。知里真志保が公刊した記録(その多くはアイヌ語原文を伴っていない)と照らし合わせることで、はじめてアイヌ語の記録が何であるかが分かることがある。
(6)おそらくは散逸した記録がある。これが知里真志保本人による作業のなかで生じたのか、死後の記録の扱いのなかで生じたのかは分からないが、公刊されている日本語で紹介された物語のなかに、ごくわずかではあるがアイヌ語の原文が知里真志保遺稿ノートの中に見つからないものがある。(ただし遺稿ノート自体が膨大な記録なので、どこかに紛れている可能性が排除しきれはしない。でも北原・小林・八谷(2012)は全てのページについて目録を作成しているので、そこから漏れている可能性はやはりかなり少ないであろうとも思う。)
(7)金成マツの筆録ノートの中に目録から漏れている記録がある。知里真志保に宛てたノートにおいては、金成マツはその多くに冒頭で目次を書き記している。ただし、稀にではあるが、特にノートの末尾において目次に載っていないコンテンツが記されていることがあり、道立図書館をベースにした目録でも、北海道文学館をベースにした目録でも、それを把握できていないことがある。(←この(7)だけ2025年3月16日に後から追記しました)
これらの記録は北海道立図書館北方資料室では請求すると随時確認することができ、北海道文学館では事前に連絡をすると申請方法の案内をしてもらえて確認することができる。これまで、これらの記録を元にした個々の取り組みは、道立図書館の記録か文学館の記録のどちらかを土台に実施されてきている(私もそうだ)。道教委による『知里真志保ノート』全7巻は北海道文学館の記録を元にしており、蓮池悦子や白老楽しく・やさしいアイヌ語教室、そして私が公刊してきている記録は道立図書館の記録を元にしている。 そして目録も互いを連携させて作成されたものがなく、道立図書館の記録は『金成マツ筆録ユーカㇻ既刊20編の研究と分析(1)』(白老楽しく・やさしいアイヌ語教室2005)に詳しく、北海道文学館の記録は北原・小林・八谷(2012)に詳しいが、それぞれにはもう一方の機関に所蔵されている資料とのクロス・レファレンスが一切ない。
私の見立てでは、上記の(1)から(6)の事情と、それぞれの資料が制度的に分断されて所蔵され、目録が作成されてきたことが、全体の見通しを悪いものとしている。この全体の状況を改善するのは個々の研究者の手には余る仕事で、機関レベルでの取り組みが必要になるが、せめてその分かり難さの所在と課題がどこにあるのかが分かり易くなるように、自分自身の仕事は進めていきたいと考えている。
文献情報
北原次郎太、小林美紀、八谷麻衣(2012)「北海道文学館所蔵「知里真志保遺稿ノート」の細目次」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第18号、pp.115-321。
読む人への注意――ここに書かれた内容は、実際にこのことに関心をもち、自分の手で資料を扱ったことがないと、一体何が問題なのかが納得しづらいだろうと思います。その意味では対象となる人が極めて限られた内容であり、ほとんど自分のためと言ってすらよいものでもあり、本来のこのブログがもっていたかつての目的とは異なってしまっています。しかしながら、それぞれについて状況や認識が新たに分かったときはたまに追記しているため、学術雑誌に書くよりも、このようにブログに書き留めておいた方が自分にとって扱いやすく、そのためにこの媒体を使っています。以前読んでいただいていた方にとっては、何じゃこりゃという内容かもしれませんが、このような事情につきどうぞご容赦ください。