先住民言語に関心をもち、深入りするようになってから10年とちょっとが経つ。始めたのが遅すぎて上達が自分でもびっくりするほど遅いが、アイヌ語とアイマラ語(アンデスの先住民言語)は少しずつ日常の中に入っていけるようになってきて、ケチュア語(アンデスの先住民言語)は暫くの間ほったらかしてきたが、もう一度本腰を入れようと体制を整えつつある。
ここまで来て思い出したが、私はスペイン語が実際に使えるようになるまでにかなりの時間を要している。はたから見てどうなのかは分からないが、大学2年の後半(20歳の時)で始めて、実際に専門的な仕事の場で使い、農村でもスペイン語を使う機会を重ねて、結局ある程度これならやって行けると思ったのは、もう20台の後半に少し入ってからであった。そのとき結構苦労した経験が、感触として自分の中に残っている。
ある言語の学習においては、それぞれの学習段階で、そこで見えてくる風景を楽しめばいいのだと、千野栄一さんという既に亡くなったスラブ言語学者の人が、とある小さい文章で書いていて、私もその通りだと思いよく周りの人々にはそう言うのだが、でもやはり、あるところまで来ないと、ふっと壁を抜けた気持ちになれない。
今でもスペインのスペイン語――これまた一つではないが――との間に、大きな溝を感じることは続いている。苦しさの中で試行錯誤をマネージする術と、いつかはそのトンネルを抜けると信じる心と。
まだやっぱり、あと幾つか、もうこれはモノにならなくてもいいから勉強を続ける言語というのを始めていきたいなとは思う。ラテン語を含むラテン系の諸言語はもちろんとして、ハカル語(アイマラ語と系統関係を持つ)、アラビア語(スペイン語をよく分かるためにはやはり必須)、そしてチヌーク系の言語(小学生の頃に住んでいた北米西北海岸部の言語で子ども時代に得られなかったものを取り戻したい)……。
新しい年度を迎えた学生たちの新しい気持ちを、まだ少しは私も維持できているだろうか。
miércoles, 15 de marzo de 2017
viernes, 10 de marzo de 2017
夕方の薄暗がりの中で
ボリビアのラパスの街で以前に住んで仕事をしていた頃から15年間、顔を合わせれば言葉を交わしてきたゲリラ路上物売りの女性がいる。最初は私が住んでいたマンションから大使館に向かって上がる階段の一角で、今は国立大学の入り口の大きな広場の片隅で。次から次と子どもが増えていき、皆で座ってどうということないチョコレート菓子を売っていた。離婚の際に元夫を殴って子ども全員の親権を取られそうになっていたが、今日の夜の入りに久しぶりに遭遇してみると、また小さい子を連れている。また新しい子!?とびっくりして聞いたら、孫なのだそうだ、一番上の娘の。一番上の娘はエルアルトで大学に行って勉強を続けているのだそうで、その間は私が面倒をみてんのよ、と。その後でもう一度通りかかったら、娘が大学から戻ってきて、母親が売り声を張り上げる横で子どもの相手をしている。この子が、うちの小さい人とほぼ同い年になる。私は、この社会のこういうところが、すきだ。
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