この社会には、赤ちゃんが死にかかっていると、「イエス様がその子を側に置きたがっているのだ」と考える習慣が存在する。 私は敬愛する人類学者のナンシー・シェパー・ヒューズと同様に、その考え方に抗って、その子どもの命を助けようと介入した。子どもの周りの家族は、皆が助けようとしていた。彼女が書いているのと違うのは、彼女の場合は子どもは助かり、私の場合は助からなかったということだ。
まがりなりにも、この家族のなかに私は位置をもらっているから、私は未だに、あの時にこうすれば違ったのではないかと、頭の中で何度も思い返している。何年も、何十年も、私とこの家族との間でずっと時間を一緒に過ごせるはずだったのに。でも、この墓地に来ると、数多くの死の現実の前で、心が静まり返り、穏やかになる。
この子が、本当にイエス様のそばに置いてもらえているといい。
苦しませてごめん。ほんの一瞬だけでも、私と一緒にいてくれて、ありがとう。
日本人はボリビアの文化について興味がある、嬉しいです。
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