jueves, 30 de diciembre de 2010
年末と年始
一つの葉の一つの角度で、そして一つの葉と一つの葉の組み合わせで、空間が変わっていく。その空気が、エッジが鋭くなっていないと、伝統花はすぐにボンヤリとしてしまう。教えてくれる先生の手つきが自分の中に入ってきて、しかしそれを経る中で自分の形が生まれ現れてくる、それを気が遠くなるほど繰り返せるといいのだけれど。
2011年がいい年でありますように。
jueves, 16 de diciembre de 2010
読書ガイド
(現代版というのは、僕が学部生だった時代にははるか前から伝わっていたブックガイドがあったのだ。この前偶然に出てきたので、今度これも存在を復活させよう。)
先生方だけではなく(常勤の先生は誰も出してくれない…)、非常勤として関わりのある人と博士課程の上のほうにいる人たちにお願いしつつあって(現在進行中)、そうするとかなり分野に幅が出て来る。新しく学部から入ってくる人に、大学院へ外から入ってくる人に役立つように。役立つだけでなく、日本語で、そして日本語になっていない本で、広がる世界を。そこへ向けての語学の習得を。
でも何と言っても、これはお願いしている私の役得。一人ひとりの熱の入ったセレクションは刺激だ。
ブログをつけている方だと、この方の原稿はいち早く届いたものの一つ。
http://hirokiss69.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-4d42.html
もう頂いているものは、暫定的な形で研究室に来る人々の目に触れるようにしています。力のこもったチューター役を、どうもありがとうございました。かつてのゼミでの名司会ぶりをも髣髴とさせるものです。うちの学生はぜひ見に来よう。最終的には分科のホームページで公開することを目指しています。
viernes, 10 de diciembre de 2010
基礎文法の先の混沌へ
少なくとも言えることは幾つかある。一つには、我々外からその言葉を勉強する人たちにとって、「読む」ことの位置付けは大きい。口承の文学を対訳形式で、幾つかの例では実際の会話を記録して対訳形式にしたものも、出版されている。(そこから先は僕は未公刊の資料を大量に扱っていて、そっちに来るかどうかは人それぞれだろう。)もう一つは、その場に居合わせることだ。人がその言葉で話し、議論している場所にうまく居合わせることだと思う。自分に対してしゃべってくれることもそうなんだけど、それだけではなくて、むしろ自分が一緒に居る人が他の人に対してどう関わっているか。その中で、こういう風に使うのかという感覚とレパートリーを自分も増やして、身につけていく。
「分かる」インプットとアウトプットの「必要」を蓄積していくという、下の本の感想文のエントリーを、具体的な場面に置き直すということになるだろうか。
でもこの過程は、先の見えない混沌とした状況に長く耐えないといけない。これは自分への戒めとしても。ただ、何も見えない混沌ではなく、何が自分にとって課題なのかが、その時その時で具体的にみえていることでもある。
横にずれると、アイヌ語を勉強するときに、ある所から先は独学の人は似たような問題に突き当たるのだと思う。その意味で、千葉大学の研究会に参加させてもらっていることは、とても参考になっている。これから先にアンデスの言語に関心を持つ人が増えてくるならば、そういう場所を作らないといけないんだろう。
これはまだ宿題として、考え続けよう。
lunes, 6 de diciembre de 2010
振り出しに戻る
様々な見解と立場がせめぎ合うという意味での政治に積極的に関与する国連やヨーロッパ系ドナーと、あくまでも純粋な技術的側面での協力にとどまろうとする日本。どちらにももちろん一理はありつつも、積極的に自分を開いていく(場合によっては壊していく)イギリスの考え方に大きな影響を受けた私には、肝心な所で議論を避けてしまう日本の援助の世界はとても居心地が悪かった。
そしてボリビアの政治は正確に情勢を分析するのが、とてもとても難しい。その中で有数のアナリストの人たちの中で揉まれ、そこからもっと長いスパンの政治思想上の課題とつながる視野をどう組み立てるかを考えてきた。でも、自分で調査をすると、政治経済の動きとは直接関係のない人々の暮らしの様々な側面に、混血の社会とは区別された意味での先住民の社会や運動に自然と関わっていってしまう。
抜け出せないままに、再び狭間のような役割を短期間得て、久しぶりにボリビア国内の主要な機関をインタビューで回っている。 ドイツの社民党系の財団のシンクタンクの、とても率直で魅力的な代表の女性の話を午前中に聞きながら、解決できないまま行き場を見失っている自分の課題に、再び立ち戻る。でもそこから、自分の足場を築く道も細く細く見えている。 五年前から、直観だけではもうどうしようもない事に、息をひそめて、潜ろう。
domingo, 14 de noviembre de 2010
アウトプットの「必要性」=リハーサル
ある本を買いに駒場の生協書籍部まで歩いて行って、その際に横ら辺にあった別の本を手に取ったのがこれ。
科学的なアプローチのいい面が出ていて、複数の立場への目配りだけではなく、様々な実証的な研究をどう位置づけるかについて、バランスの取れた紹介がなされていると思う。「教科書」を目指したという後書きも、それこそが必要であったと思わせてくれるが、同時に実践に役に立つアイディアが幾つも詰まっている。
印象に残ったことを。
(1)子供(幼児)の方が言語習得に成功し易いという点をまずは認めた上で、ただしそれは生得的な要因のみに基づくのではなくて、外国に住む時に周りのどのような人々と付き合っているかということも含めた環境的要因も大きい。(環境要因は操作することができるよね。)
(2)ある程度理解可能なインプットを大量に行うことで、予測能力も含めたその言語の力が身につく。
(3)必ずしも初期段階からひたすら話そうとしなくても、アウトプットをしようとして自分で頭の中で組み立てる=リハーサルすることが重要で、それによってその言語で考えるようになる。(ずっとしゃべらなくて、あるとき突然しゃべり始める子供のように。)
また全体的な立場に関することだが、「ネイティブ」を目指す必要はないというメッセージと、だからと言って形を気にしないその場しのぎのコミュニケーションではだめだろ、というメッセージのバランスを取ろうとしているように見受けられ、そこも共感を覚えるところだった。
ただしこれを自分の専門にしようと思わないのは、自分の目の前にある言葉自体が何なのだろうという関心の方が僕は強くて、かつ自分の生々しい経験とうまく折り合いがつかないような気がするのだが、でもこの本は巷の外国語習得に関する本としては珍しく役に立つと思った。
miércoles, 3 de noviembre de 2010
『三月のライオン』
前によしもとばななさんも日記でこの漫画が好きという趣旨のことを書いていたように思うのだけど、確かにそこの部分が通底しているのだと思う。『王国』を読んだときの、あの庭の描写で、久しぶりにその感覚を思い出した。僕は『キッチン』に書かれている料理の描写がとても好きなのだけれど(「魂のかけらが入ってしまう」という趣旨の部分)、そういう話を、厳しさを、上手に表現しているのはとても好きだ。これはもう研究の対象とかそういうことじゃなくて、自分のこととして。
sábado, 16 de octubre de 2010
神様に愛されている
ボリビアのラパスで空港に向かおうとするとき、だいたい僕がいる辺りのところからは、高速ではなく普通の道を上がっていく方が近いので、つづら折の坂道(街なかですけど)をぐるぐる回って上っていくのだけれど、たまにちょうど良く朝日が射しはじめた時間帯に通ることがある。
もう街は動き始めているのだけれど、たまにふとたたずむおばちゃんがいることがある。急斜面に街があるので、朝日の方角に向けて300m以上の落差のある空間を一望に見渡せる。やわらかな暗めのオレンジ色の朝日があたる。こういうときに、ああこれは神様に愛されている感じがする、と思う。ラパスの街は上に行くと階層が下がっていくのだけれど、ここに住む人たちが街の全体を知り尽くす主役だ、という感じとも合わせて。
そして…、
現実としては全く関係が無いのだけど、同じ感情をもったことがもう一回だけあった。それは僕自身が修士課程をやっていた、イギリスの国際開発研究の研究所。ラテンアメリカの従属論系統の論者や南アフリカからの政治亡命者を受け入れてきた大学のその研究所は、先生全員がすごい勢いで働いていて、学生は若干無視されがちで、そして設備はとても整っていなかった。もちろん僕はとても批判的で、ブツブツ言っていた(議論の場では僕は実はよくしゃべります)。
ただし、幾つも印象に残っている中でも最も初期のものは、全体として(程度と質の違いもふくみながら)共有されている危機感だった。このまま同じことをやり続けるならば、そもそもそのようなアウトプットが存在することには意味がなくて、我々は常に間違えてきたのではないだろうか。自分達の植民者としての時代に向き合うことへとつながっていく強い批判的な思考、この感触は日本の大学にいてそれまでに得ることはなかった。
危機感が緊張感を生み出すその中で、複数の応用理論的な取り組みが進行し、それは2000年代のこの分野に関する僕のイメージの骨格を形作っている。この研究所の狭い廊下のじゅうたんを踏みながら、ああここは神様に愛されているかもしれない、と二回ほど思った瞬間があることは、今でも覚えている。
martes, 28 de septiembre de 2010
「現国」と「文章」と「分かる」こと
大学入試の現国の勉強をするときに、知っているから問題が解けるんだという方向に、やはり僕は持っていきたくない。それだと知識があれば解けて、知識が無いとガクンという波から抜け出せない。高校生が現在の言論の動向に全て目を配っているべきだという想定は、やはり非現実的だ。そして、それは自分が思いもかけなかった何かを見出していくことに対して、とても閉鎖的に働くのではないだろうか。
だから、むしろ本文の組み立てられ方(様々なレベルでのパーツとパーツのつながれ方)に着目して、その形を見抜くための道具立てを揃えていく。そして選択肢を切るための道具立てを揃えていく。ただ「消去法」と言うならば、それは実は様々な理屈から成立しているものを大雑把にまとめているだけに過ぎない。つまりそれは、「論理学」の「論理」とはちょっと違う、実践的な論理の練習なのだ。
(ちょっと話がずれるけれど、大学の先生が入試問題について書くものは、往々にして木目が粗すぎて実際の受験生の役に立たない、というかそれでできるようになる受験生はそもそもそのような本を実は必要としていないのではないだろうかと思うことがある。だからやはり、鍛冶屋は鍛冶屋の仕事をではないけれど、大学の先生より塾や予備校の先生が細かくなるし、その意義はそれとしてあるはずだ。)
(そしてもちろん、この方向で考えているのは僕だけではなくて、あまりオリジナルな見解ではないと思う。)
そう考えることで、一つ一つの話題ごとに分類するのではない、論理の形に注目しながら考えていくことができるようになる。
でもそれだけではない。知識があれば読めると思って「分かる」と思う、その感じが僕は嫌いなのだ。それは結局字面を追いかけて納得したと思ってしまう、そこから一歩も出るものじゃない。そんなところで「分かる」と思いたくない。その一言一句が、その一つ一つのつながりが、実は何一つ分かっていることなんてないんだ。だから、そこからもう一度バラさないといけない、そこからもう一度切り込まないといけない。文章が到達点ではなくて、そこから世界に入っていくための入り口であってほしいんだ。
(念のために、入試の現国では知識が要求される部分がやはりあるので、それはそれで教えるというのはあった上での話。それは2000年代に入って増えてきたという印象がある。)
miércoles, 1 de septiembre de 2010
引きこもり
http://shindanmaker.com/42590 #11Fsy
色々と試してみたら結構安易な感じの診断が繰り返されていたことに気付くけれど(もちろんそういうものよね)、でもこの最下位と第一位は考えさせられる。たまたまにしては上手くできすぎてないかい?
まず簡単な方から。そもそもボリビアの日本大使館で働いていたから、(広めの意味で)外交官だったじゃんっ!と突っ込みたくなるところなのだけれど、中学生の頃、いわゆる「帰国」でオトナの話を適当にかわすのが上手だった僕は、「外交官が向いているわよ〜」という周囲のこれまた適当な意見をまともに信じて、本気で目指そうかと思っていた時期があった。ところが、高校の担任の先生に思いっきり強く反対された。「絶対に上と衝突して辞めて、それは周りの為にもならないから辞めとけ。それでもと言うなら、専門職(=ノンキャリ)の方にしておけ」と。今から考えると(そして実は当時もそう思ったのだが)、これはかなり的確に僕の何かを言い当てているかもしれない。
さて、問題は「引きこもり」の方なのだ。最近のCLACSOが出している雑誌Crítica y Emancipaciónというラテンアメリカ社会科学の雑誌に、ボリビアの現副大統領のÁlvaro García Lineraによる記事がある。そこで彼は、何かを考えようとするならば、社会に関わろうとする時期(tiempo de acción)と引きこもる時期(tiempo de reflexión)の両方があると主張する。(マルクスやグラムシやラテンアメリカの何人かの思想家たちが念頭にあるようだ。)
Álvaro García Linera. 2010. "Elementos para pensar la reconfiguración del campo político boliviano." Crítica y Emancipación, Año 2, No.3, pp.293-306 (Buenos Aires: CLACSO).
直接には書いていないが、彼の場合は、武装ゲリラEjército Guerrillero Túpac Katariに深くコミットした時代があり、その後の投獄の時代があり、その後の政治アナリストから副大統領へという時代があることになるのだろう。
若干話のレベルが落ちるのだけれど、研究をしているときに「引きこもる」ことが重要で、僕自身にはそれが足りていないような気がする、言うならば外に出て行くときと引きこもるときのメリハリをもっとつけないと、この先に行けないのではないだろうかと漠然と思っていたときにこれを読んで、自分の課題を再認識し直したというのがある。現地調査をしているときは、それがなかなか難しいのだよね。
(ここから話の筋が若干ずれていくのだが、Álvaroは人類学系統のセンスがないと以前から言われてきた。この人から僕はボリビア政治の見方と戦略的に有効な言説の構成の仕方について多大なことを以前学んだし、この人を批判する人は彼ほどには戦略的な有効性を考えていないのだが、この批判については僕もその通りだと思う。なぜなのかをよく考えるのだが、自分自身の論理的な一貫性が崩れることを過剰なまでに嫌う、ということなのではないだろうか。文化的差異や社会的差異に敏感になるということは、自分を崩して矛盾を内に孕んで、それでももっと後ろのどこかで一本筋が通ってほしいと願う、そういう姿勢を必然的に伴うからだ。この立場の違いの両側からボリビアの社会において重要な様々な論点が生まれてきているのだ、という感覚が僕にはある(そしてそれはもっと広くラテンアメリカ全域に言えることかもしれない)。以前に書いた「2000年代ボリビアの左派アジェンダの検討」という論文は、この軸を巡っての考察というのが表に出ていないモチーフなのだが、今回ちょっと先に考えが進んだように思う。)
(それにしても、そろそろまた引きこもった方がいいかもよ、先生。)
viernes, 27 de agosto de 2010
師匠
今日夕方に民族学の年次総会に行ってみたら、そのグループのブースが出て、先生があぐらをかいて座っている。雑誌の入校が一段落したのだな。段になっているところに横に座らせてもらうと、弾丸のようにしゃべり始めた。常に問題意識が鋭くて、それが現実からずれない、現実に切り込もうとすることからぶれない。アカデミックなことに関心があるというよりは、現実にどう役立つ考え方をするかに関心があるんだと常々話している通りだ。この人にとって、考えるということはその人の生き方そのものなのだと思う。性格のとても烈しい人。
アンデスでキリストと悪魔が重ね合わせて捉えられること、イメージを通じて18世紀の先住民の大反乱と2003年の社会反乱とをどう対話させるか、二人の筆者のテクストが併存し相互に絡み合うように編集上のレイアウトをどう工夫するか、自分が街中でしゃべってきた(庶民の)スペイン語がアイマラ語世界とそれを知らない若者たちの世界をつなぐ蝶番の役割を果たす可能性。
この人に対しても僕は返せないほどの学恩がある。いや、多分この「恩」は「学」だけではない。何年も何年も、体が感覚で何度も覚えようとしてきた生きて考えるこの人の感覚を、果たして僕は何か形にして外にもう一回出せるのだろうか。
Silviaはここ何年もsociología de la imágenと呼ぶものに取り組んできたのだが、植民地時代の宗教画を中心としてこれを実践したPrincipio Potosí Reversoという写真と映像満載の本がスペインで出版された。そして「混血」を均質化を求める動きとしてではなく、対立と補完する複数の要素の斑模様として捉え直す試みを続けてきていて、アルゼンチンでCh'ixinakax utxiwaという文庫サイズの本が出版された。両方とも僕がボリビアにいなかったここ四ヶ月の話だから、すごいバイタリティーだ。
jueves, 26 de agosto de 2010
塾の先生と自分の研究
実際にどう教えているかというよりは、自分の研究に関係ある話を。古文の先生をしているときは、古文の基礎は品詞分解をして直訳をすることだと教えます。要は助動詞や助詞などのパーツを一つ一つ正確に訳してつなげるような、それでいて日本語としてちゃんとしている訳をできるようになる、ということです。その先にももっとたくさんあるのですが、まずはこれですら学校でなかなかうまく教えてもらえていない生徒は多い。
広い文脈につなげると、これは小説家の人々が取り組む訳というよりも、そして一般の人を対象として分かり易い日本語で意訳するというよりも、大学で勉強するということを視野に入れた訳の仕方だと言えるのだろうと思います。源氏物語を中心とした藤井貞和さんの「研究語訳」という提唱と取り組みは、この延長線上につながってくるのだと思います。
さてさて、僕はこれは古文の話だと思っていたのですが(ただし漢文も漢字の品詞を考えるという似た教え方をしますが)、アンデスの言葉を勉強するようになって、そして研究の世界を垣間見るようになって、おおっと思ったことがあります。僕は言語学の細かいことにあまり詳しくないので言葉使いがちょっと変になるかもしれないのですが、アンデスのケチュア語とアイマラ語はともに接尾辞を連ねて動詞や名詞に意味を付け加えていく言語です。つまり日本語の助動詞と助詞のようなものを持つ「膠着語」と呼ばれる種類に属する言語で、日本語のように漢字の力に早くから頼らなかった分、それぞれの接尾辞の意味の場の広がりと組み合わせ方が一層複雑なように思います。
そうすると何と研究者の人たちは「品詞分解」にあたるものをします。análisis morfológicoと呼ばれるものがそれです。そして、スペイン語に訳すときに「アンデスのスペイン語(castellano andino)」と呼ばれる、この地域で普通の人々が話すスペイン語の方言のようなもので訳すべきことが提唱されるのです。ここではスペイン語は長らくアンデスの言語と接触してきたので、アンデスの言語の特徴の影響を受けた様々な言い回しが発達してきました。つまり境界領域での翻訳が長期にわたって行われてきた訳ですね。そのようなスペイン語の種類を使った方が、正確に直訳に近い仕方で訳が工夫できる、と考えるのです。
こう考えて来ると、日本語の古文の世界とアンデスの言語の世界が思わぬところで結びついて比較できるようになってきます。
ただし、文化的な状況説明を必要に応じて加えながら訳すという姿勢を強調することもできます。César Itierのケチュア語の口承文学の訳や、Ricardo ValderramaとCarmen Escalanteのオーラルヒストリーの訳は、どちらかというとそちらに重点を置いた訳になっています。この辺りも、日本の古文の訳を巡る議論とかぶってくるところがあるかもしれません。
miércoles, 25 de agosto de 2010
一瞬の街の光景
domingo, 22 de agosto de 2010
トマト?
jueves, 19 de agosto de 2010
クスコの街
だからこそ、クスコのサントドミンゴ教会を、その土台をなすインカの神殿コリカンチャとともに、爆弾テロを仕掛けて吹っ飛ばす構想に、同じくらい共感してしまう。アイマラの無政府フェミニズム組織の女性が主人公の、Alison Speddingという人が書いたこのボリビアの小説は、まさにこの場面のせいでペルーでは発禁処分になっているらしい。(ただしそもそもボリビアで出版された本は、ペルーでは基本的に手に入らない。)社会変革を拒む抑圧の機構が、ペルーでは幾重にも人々を取り巻いている。(ただしボリビアの状況がましだと言っているわけではありません。)
ちなみにこの小説では、独立戦争を始めたアイマラの人々は、アメリカ合衆国によってエルアルトに原爆を落とされる。そして国際的に封鎖された後は、組合組織(Sindicato)が宇宙船の操縦によって必要な外貨をもたらすのだが、その宇宙社会ではなぜかTrade Japaneseなるものが公用語になっている、という謎の日本モチーフが連続します。アイマラ語とスペイン語で書かれたこのSF小説は、De cuando en cuando Saturnina: Una historia oral del futuroと題されています。ボリビアではとても評判がいいので、見つけた方はぜひ。
(8月26日追記:ボリビアに戻ってみると第2版が出ていました。)
交通事故
この人はEdith Zevallosと言って、Bruce Mannheim(米国)とかCésar Itier(フランス)とか他の外国のケチュア語関係の研究者のカウンターパートのようになって、学生を受け入れたり世話をしたりしてきた。去年は一年間ミシガン大学に客員として行っていたので、会えなかったのだ。
元々の村(Pomacanchi)の、かつて一緒に時間を過ごしてケチュア語の練習をさせてもらった家族の近況も聞く。先生、生きていてよかった。アイマラ語の勉強を始めてから、どっちつかずのカタツムリ行進が続いている僕のケチュア語も、もうちょっとうまくなったところを見せたい。来年また良くなったら、色々と質問に答えてもらう約束をして、お別れをする。その人に会うと、昔のその一つ一つの瞬間とその空間の雰囲気が戻ってくる。
lunes, 16 de agosto de 2010
私にどうなれって言うのっ
domingo, 15 de agosto de 2010
[readingcritiques]「国民文学論」の話へのコメント
viernes, 13 de agosto de 2010
Suma Qamaña o Vivir Bien
miércoles, 11 de agosto de 2010
1949年にアイマラ語で詩を朗読すること
今年二月に亡くなったMatilde Garvíaという人がいた。今日は、彼女の追悼の催しがあったのだ。彼女とAugusto Céspedesとの間の娘が全体の構成を担当していた。
この国では1952年に革命が起きた。この革命は混血の思想に主導されたために「先住民」の位置がないことが、その後になって次の時代への動きを作り出す。とはいえ、農地改革、教育の農村への普及、普通選挙など、大きな変革をこの時代のボリビア社会は経験する。
しかし、それよりもさらに3年前。ボリビア映画史の最初期に女優として活躍したそのMatilde Garvíaが、Teatro Municipal(市立劇場)という上流階層の文化の中心地で、アイマラ語の詩の朗読を、オーケストラによるアンデス音楽を基盤とする楽曲の演奏と組み合わせるという、前代未聞の催しを試みた。プログラムの名前はAntis Aru(アンデスの言葉)。会場には、当時の新聞記事の数々が貼り出され、いかに反響が大きかったかが伺える。それらの記事を読んでいると、フォルクローレというのは現代では政治経済と関係なく文化の領域にその民族を閉じ込めてしまうという批判がなされるが、その文化の領域だけでも「死にいくもの」としての位置付けだけでない生きた関心が持たれることが、当時の主流社会の中でいかに大きな衝撃だったかが分かる。
僕自身がここで色々と教わっている師匠のような存在であるSilvia Rivera Cusicanquiと、僕と同世代くらいの人たちの集団が追悼映像の作成を担当し、今一緒に仕事をしているFilomena Ninaという人が、そのアイマラ語の詩の現代の書記法への書き換えと翻訳を担当していたから、この人の存在を知った。
詩の原作者はAntonio González Bravoと言う。当時アンデスの文化に興味を持ちアルティプラノ(高原地帯)を歩き回っていた人らしい。美しい詩だった。今までに出版されているアイマラ語の詩のアンソロジーに、この人は載っていない。アイマラの文化に興味を持って入っていこうとして、言葉を磨いていって詩を書いた。クスコでは、そのようにアンデス文化を愛しケチュア語で見事な詩を作ったAndrés Alencastreという人は、同時に自分の農園ではインディオに対して暴君であった(後に自分の農園の農民たちに虐殺される)。この人とアイマラの人たちの関係はどうだったのだろうか。
当時のUMSA(国立サンアンドレス大学)には、アイマラ語の講座もあったらしい。僕がアイマラ語を教わったJuan de Dios Yapitaという人が、1970年代に言語学科の設立に関わって初めて教えられるようになったのだろうと思っていた。昔のことで分かっていないことは沢山あって、また一つ世界が重層的になっていく。
martes, 10 de agosto de 2010
分断された人種社会で生活すること
domingo, 8 de agosto de 2010
chuyma usutu
sábado, 7 de agosto de 2010
食べ物の話題二種
ボリビアで大好きな食べ物の一つにwallaqiという魚のスープがある。wallaqiñaはアイマラ語でhervir, bullir(沸騰する、沸き立つ)という意味。チチカカ湖で捕れる魚の一つにkarachiという魚があって、小さくて骨っぽくて食べにくいのだけれど、とても美味しいだしが出て、身も実は香ばしい。ペルーのクスコで僕がお世話になっている家族は、真ん中の娘が妊娠したときに、力を着けるために(ラパスのとはちょっと違う)karachiのスープを作って食べさせていたらしい。ラパスのwallaqiは、黄トウガラシをベースにしたスープで、ジャガイモと、チューニョ(ch’uñu)と呼ばれる黒い乾燥ジャガイモを戻したものと、あとは魚が入っている。
ラパス市内にロドリゲス市場という大きな市場があって、週末は付近の道路も露店で全て埋まる、その市場からPlaza Belzúに向かって下りていく道に、週末は大量の人が群がってその中で一人のおばちゃんがアタフタして[そのせいで]ブスッとしている。¿Hay todavía señora?(まだある?)と聞くと、Siempre hay, pero no hay tiempo de servir.(あるけど、よそう時間がないんだよ)と横で待っている人が茶化してくる。我先にくれくれと言う人たちと張り合って自分の分を確保して、小椅子か道ばたの段に座って、魚の身をむしりながら食べる、食べる。最後にスープだけyapa(aumento、おかわり)ができる。11時を過ぎるともう無くなってしまう、午前中の食べ物だ。
誰にも役立たない情報かもしれないのだが、前に人と一緒に行った、エルアルトのCruce a Villa Adelaから一ブロック入ったところに出ているwallaqiの露店もおいしい。(追記:どうもPuente Avaroaのwallaqiも美味しいらしい。行ってみねば。)
そのあと新聞を買って宿に戻ろうとする途中でレストランの中から声をかけられる。去年一年間住まわせてもらっていた小森さん一家のご主人のお父さんとお母さんだ。
アンデスのトウガラシにlocotoというものがあるのだけど、この家の名物は、それを種を除いて刻んで醤油に漬ける、その名もlocoto con shoyuという発明品があり、これがなんとchicharrónやlechónを含めて様々なボリビアの料理に本当に良く合う。僕は去年病み付きになった。(locotoは、上の黄トウガラシ(ají de vaina)とは違う。それ以外にも緑で小粒でめちゃ辛いurukipaというトウガラシがある。)
時間がないときは粉末locotoを買ってきて、醤油をぐじゃぐじゃっと混ぜるだけでも十分にその役を果たす。
今回の滞在でも一度ご飯にお呼ばれする予定で、今から楽しみ。新しい土地で人が生み出すご飯の味には、ピリッと効いた魅力があると思わせてくれる。
Agosto, mes de pachamama
ル・グウィン追記
これはある意味で「充足」の方向に向かうということ、何かを「取り戻す」ということに重点が置かれている。これは、『ファンタジーの言葉』における人類学者の娘として「インフォーマント」(ここでの家族と先住民の関係には明らかにこの言葉があてはまる)の先住民出身の男性たちと、それでも人間的な関係を築いてきた、という彼女の立ち位置に、おそらく深くつながっている。
ここには根本的な疎外されているという感覚はない。ふと大江健三郎と比べてみると面白いのではないかと思う。例えば古義人の分身であるコギーがある日いきなり森の彼方に去っていってしまって、二度と戻って来なかったりするようなことは、ない。(ただしコギーは「影」ともそもそも違っているけどね。)
「統一性」を批判するというスタンスは取れるような気がするのだけれど、むしろもう一段フラットに、同じ問題を共有したときの違う方向への取り組みとして他と比べながら読んでいると、面白いのかもしれないな。